20日目
ラジオ体操で起きました。
盛岡城址公園で目が覚めて、めっちゃ人が集まってきてなんだこれはと思ったら(ちょっとラジオ体操を予想してた)ラジオ体操始まりました。
この日は踊らずに見てました。終わってから久しぶりに風呂に入ることにして八幡平方面に向かい、いこいの村岩手に行ってきました。
昼飯はドライブインのラーメン280円、二戸の史料館は入館50円という安さ。
軽米を通って、青森に入りました。なんごうが宿です。芝生完備で気持ちよかった。おじさんにクマが出ると冗談で脅されるというおまけ付き。
二戸の史料館では、スタッフの方にいろいろ教えてもらいました。
・「~戸」の地名の由来。
・盛岡の地名の由来
・二戸の有名人
「~戸」の地名は馬産地です。昔はこの地域一帯は馬の産地であり、「戸」には牧場の意味。
順番に牧場に番号を振って区別したことが由来だそうです。
藩主の居城はもともと二戸の福岡というところにありました。しかし、領土が広がるとコメが良く取れる南の方が藩の運営に都合がよい。そこで南下して不来方に居城を映しました。地名を盛る岡ということで盛岡にしたことが盛岡の地名の由来です。
有名人は九戸政実、相馬大作、田中館愛橘がとくに有名です。九戸政実は豊臣秀吉が小田原を平定し東北征伐に向かった時の東北側の大将。
相馬大作は南部藩士。津軽藩主津軽寧親の隠居を狙った事件、相馬大作事件のリーダーです。みちのく忠臣蔵という名前が有名です。吉田松陰も彼の影響を受けていたらしい。考え方のスケールが普通ではなく、相通ずるところがあると教えてくれました。彼は剣術も達者で二戸で剣道を教えていたそうです。そういった歴史もあり二戸は武道が強い。岩手国体では剣道の会場にもなります。
田中館愛橘は日本式ローマ字の普及に貢献した物理学者。ほかにも様々な業績があります。実は相馬大作の姉の孫。
影響力のある人物が歴史の表舞台に一人登場するだけで、こうも後世に影響を与えるのかとびっくりしました。